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思い出の撮影地 山陽本線・戸田〜富海
先日の中国地方遠征のネタからもう一つ。
山口方面、周南市から防府市にかけて走ると、どうしても立ち寄りたくなる思い出の撮影地があります。
それが山陽本線の戸田〜富海間です。

ここは一駅区間なのに10km以上の距離があり、その殆どをレール以外は人跡まれな周防灘の波打ち際に沿って走る、山陽本線随一の風光明媚な区間です。前日の夕方に東京を発車し朝陽を浴びて九州を目指すブルートレインを次々と収めることが出来て、好んで訪ねた場所でした。
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写真はちょうど今から10年前、2004年の11月でブルートレイン「あさかぜ」の廃止間際の写真です。
この頃はTOYOフィールドという4x5(シノゴ)のカメラで撮ったりしていました。自前のスキャナが対応していないので、ライトボックス(←これに電源を入れたのも何年ぶりだろう?)に乗せてカメラで接写しました。できれば業務用のドラム式スキャナでちゃんとデジタル化しておきたいですね。
ちょうど朝陽がEF66の側面にあたりそれが波穏やかな入江に反射している姿が印象に残っています。編成美を崩していて当時はあまり好きではなかったパンタ付の中間車のスハ25も、今改めて眺めるといいアクセントになっていて、あの時は贅沢なこと言ってたなあと思います。
ちなみに、実際ブルートレインの車窓からの眺めはこんな感じでした。
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ちょうど徳山を出た辺りで朝の車内販売が開始され、ロビーカーで瀬戸内の朝陽を眺めながらすすったコーヒーの味は、お世辞にも美味しいとは言えませんでしたが、この眺めのお陰で美味しく変えてくれるのだから不思議なものです(笑)

ということで、久しぶりに撮影地がどうなっているか訪ねてみることにしました。
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線路に沿う細い車道は、この先のトンネルからお判りのとおり、山陽本線の旧線部分です。ここから登ります、ちなみにクルマは今回の旅の相棒トヨタレンタリースのPASSOちゃんです。
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以前よりも倒木や崖崩れが増えていました。このところ山口地方は集中豪雨を頻発しているのでそのせいかもしれません。
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シダ植物が見えてくると、ポイントはもうすぐそこです。
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6年ぶりにこの場所に立ちましたが、やはり枝はだいぶ伸びているようで、アングルは以前に比べて限定されるようです。
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今回撮影した唯一のショット。
あの頃はまだEF65やEF66の索く貨物列車も多数設定されていましたが、来るのは桃太郎ばかり。
かつては東京や大阪から九州を目指す夜行列車が次々と走ったブルートレイン銀座も今や皆無となり寂しい限りです。
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これが6年前。東京〜九州間の最後の1本となった「富士・はやぶさ」を狙ったショット。残念ながら編成の後部には日が差していません。ここは曇るとくすむけど、晴れすぎるとこうやって影が出る、やや靄のかかった朝陽が一番いい条件なのですが、そうは問屋が卸しませんね。

先ほどの車を停めたトンネルの先を、波打ち際まで進むとあの海岸線を真横から眺められる場所に辿り着きます。
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こちらはポジのマウントのメモを見たら2001年。まだ14系座席の団体列車がよく走っていた頃です。どことなく大阪と九州を結んだ急行「阿蘇・くにさき」や「雲仙・西海」を彷彿とさせてくれます。もっともこんな日の長い時間は走っていませんでしたが、当時は何気なく撮ってた車両も今や貴重な記録となりました。

そしてラスト同じく6年前の夏に撮った、今度は北側の道路からの写真。
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日の長い、夏場の午後だと何とか列車の側面に光が当たってくれます。

ブルートレインが廃止され、走る列車のバリエーションは減ってしまいましたが、以前と変わらぬ風景に安心して思い出の撮影地を後にしました。また、この場所で朝陽を浴びて走るブルートレインの姿を眺めることが出来れば、と願いつつ。

by feel-railside | 2014-12-07 22:48 | 国鉄型
北陸本線・撮影地回想【2】
前回からのつづきです。
北陸と言えば冬。冬と言えば、越前ガニ、寒ブリ、、、。と今なら撮影とグルメを天秤にかけたり(?)もしますが、当時はやはり雪降れば線路端に立っていました。
北陸本線の雪と言えば北陸屈指の豪雪地帯である福井県の今庄(現在の南越前町)でした。京都からなら、特急と普通を乗り継いで1時間弱。その後引っ越した先の金沢からなら、いつでもクルマで行けるとあって、結構な頻度で通いました。
富山や石川でチラチラ雪でも、福井に入り武生を過ぎたあたりから、南下すれば南下するほど雪深くなるから不思議なものです。季節風と地勢の関係でこの地に豪雪をもたらしているようです。
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大阪と青森を結ぶ、昼間を走る特急列車としては日本最長のランナー「白鳥」。
福井県の嶺南と嶺北を分ける長い長い北陸トンネルを抜けてきた瞬間です。まさに長いトンネルを抜けるとそこは雪国、という表現がピッタリ。当時、向日町(京都総合車両所)に所属するボンネット編成では唯一原型に近い型を保つA09編成はファンの間でも人気の的でした。A09編成の運用と降雪具合、そして仕事のシフトの3つ全てが幸運にも合致して、ようやく撮れたのは「白鳥」廃止の2ヶ月前。
かつては青函連絡船に接続し、関西対北海道の輸送を担ってきた特急「白鳥」が、1988年の連絡船廃止後も走り続け、21世紀まで何とか存在したこと自体が、今考えると奇跡であったなあと思います。
結局、「白鳥」の写真はこの1枚で満足して、その後廃止まで撮る事はありませんでした。
(2001年1月 北陸本線・敦賀〜南今庄)


そして、この撮影から9年後。再び南今庄を訪れる機会がありました。
「白鳥」なき後も地道に北陸本線で走り続けた「雷鳥」にもついぞ永遠に飛び去る日が近づいてきました。
やはり北陸特急に似合うのは雪です。9年前の残像を追うように、再び雪深い南今庄のホームに降り立ちました。
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雪を掻き分けて目的地へ奮進する姿は、まさに北陸特急の象徴であり真髄。迫力あるシーンを、と思い最後は流し撮りで収めることにしました。廃止間際で既にかなりの棲息数を減らしていた「雷鳥」。明るい時間で撮れるのは一度きり。前を走る列車で何度も練習し「振り」の勘を掴もうとしますが、なかなか「振り」が合いません。
そしてやや遅れて本命の「雷鳥」が雪ふりしきる中、鮮やかな赤とクリームのツートンカラーで近づいてきます。北陸トンネル内はMAX130km/hのスピード。リラックス、リラックスと声を出しながら、手持ちのカメラを列車の動きに合わせて斜め上に動かしながら、静かにシャッターボタンを押します。
「フッー」
列車が雪煙を巻き上げ通過したのを見送ってから、プレビュー画面を確認。
安堵感と喪失感。不思議な感覚のままこの駅をあとに。
帰京し、仕上がった見開きの色校を見て、ようやく安心しました。
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(2010年1月 北陸本線・敦賀〜南今庄)

(おわり)
次回からは再びヨーロッパの紀行のつづきです。



by feel-railside | 2014-08-24 12:06 | 国鉄型
北陸本線・撮影地回想【1】
しばらく周回遅れ気味でヨーロッパ紀行を続けてきましたが、ちょっとここでブレイク。
お盆はこの土日だけ空いたので、久しぶりに18キッパーで関西、北陸方面へ出掛けました。ところが、行く先々で豪雨に祟られて、結局北陸廻りの帰京は断念。敦賀の一つ先、南今庄駅で折り返して再び米原廻りで帰りました。

残念ながら撮影はままなりませんでしたが、久しぶりにゆっくりと普通列車に揺られながら線路端を眺めていると、懐かしい撮影地、そこでの思い出が走馬燈のように脳裏に浮かんできました。
北陸本線の敦賀周辺は私にとっても、15年前に鉄道写真を復活させた場所でもあり、今の自分の原点とも言える場所です。
帰宅後、久しぶりにフィルムスキャナーに火を入れて、マウントしたポジを一枚、一枚吟味しながら最新デジタルリマスタリングしてみました。
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まずは2003年9月21日に撮影した「懐かしの雷鳥」号。湖西線経由ではない米原廻り、ヘッドマークは懐かしの文字型、グリーン車3両を組み込んだ11両編成、JNRマーク入り、車掌の制服も国鉄時代のものにコスプレしたりと、相当気合いの入ったイベント列車でした。
折角の米原廻りだったので、北陸本線の余呉〜近江塩津を撮影地に選びました。有名撮影地での混雑を避けたいというのもありましたが、1:25000の地形図片手に探し当てた場所で一人で対峙したいという思いもありました。
この日は時折雨のぱらつく生憎の曇り空でしたが、森の中を駆けるしっとりとした雰囲気で撮れたな、と満足して山を降りた記憶があります。

因みに、この場所からはこの先の近江塩津で合流する湖西線の高架橋も眺めることが出来ました。
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ちょっと列車の切り位置がアレですが、アマチュア時代なので大目に見てください(汗)
普段は3灯485系の前照灯もヘッドの1灯だけです。そう、ここは交流・直流の切り替え区間(デッドセクション)で電気を止めた状態の惰性で走っています。その為、車内は非常灯のみ、前照灯も1灯のみとなります。
ただ、この区間も現在は敦賀まで直流化されており、この風景も485系が走る姿も見納めとなってしまいました。
(2003/1/25 湖西線・永原〜近江塩津)

この先の近江塩津で湖西線と北陸本線が合流します。
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この場所は近江塩津の駅舎がある場所から2km北方の福井県境にも近い深坂トンネルの手前ですが、まだ近江塩津駅の駅構内扱いで、スノーシェッドに覆われたポイントがちょうど北陸と湖西の分かれ道となっています。北陸特急の世代交代を象徴するかのような681系と485系の競演を偶然収めることが出来たのも、暑い暑い2001年の夏でした。
(2001/8/16 北陸本線・近江塩津〜新疋田)

近江塩津を超えると新疋田となり、新疋田〜敦賀にかけては鉄道ファンにとっては聖地とも言える好ポイントが随所に点在しています。
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その中でも個人的に好みだったのが鳩原ループと呼ばれた上り線をインカーブから50mmレンズで捉える場所でした。
485系と言えばボンネットタイプの初期形が人気がありますが、この貫通扉がありマークの大きさも控えめの200番台(貫通型)が端正かつスマートな顔立ちで一番好きな車両でした。
ただ、前から数えて5両目を除き若干色が褪せているのが残念なところ。これは、この車両の所属する金沢総合車両所の塗料に起因するものだとファンの間では囁かれていました。「松任(←現在の白山市※金沢総合車両所の所在地)の白ふき」とも揶揄していたことも、写真を眺めながら思い出しました。
この特急「加越」も今や特急「しらさぎ」に吸収されてしまい、列車自体も地味に消滅してしまいました。
(1999/10/21 北陸本線・新疋田〜敦賀)

敦賀から先の南今庄での思い出はまた次回にお話しましょう。
(つづく)

by feel-railside | 2014-08-19 00:56 | 国鉄型