カテゴリ:夜行列車( 4 )
さようなら「カシオペア」
今日(2016/3/21)をもって「カシオペア」が廃止されてしまいました。
自分の中では、九州行きの夜行列車が消滅した時点で、ある程度の区切りはついているものの、やはり寂しいものです。
「カシオペア」は縁のない列車で、結局廃止まで外から眺める(撮る)だけになってしまいました。
そんな外から眺めた「カシオペア」の中から3つほどピックアップしてみます。
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2010/5/29 室蘭本線・長和〜有珠

ちょうどこれを撮った頃は、札幌に二ヶ月ほど住み込みで仕事をしていた時期で、週末にもなれば道内各地に撮影に出かける夢のような生活でした。
毎週末、天候を睨みながらベストな時期に訪問することができ、いい思い出になりました。

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2015/5/22 東北本線・矢吹〜鏡石
夜行列車の楽しみといえば、やはり食堂車。いつものようにディナータイムに流し撮りのシルエットを何度か試みましたが、窓のヌケの悪いE26系客車は殊更苦労しました。

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2011/6/19 東北本線・日和田〜五百川

震災のボランティアに通っていた頃の帰りに撮った思い出深い写真です。茜色に染まった空を反射するシルバーの車体を思い描きましたが、結構屋根が汚れていて狙いの半分ほどの出来になってしまいました。
写真の出来はともかく、どういうことか、この頃はやたらと空の焼ける色が鮮やかだった記憶が蘇ります。なんとも皮肉なことです。

国内では電車寝台の「サンライズ瀬戸・出雲」は残っているものの、車内で食事を楽しみながら目的地まで寝て行ける列車は消滅してしまいました。しばらくは、海外の夜行列車を楽しむしかないようです。


by feel-railside | 2016-03-22 00:14 | 夜行列車
不知火海を走るブルートレイン
フランス旅行記の途中ですが、前回に引き続きブルートレインの話題です。


先日、JR九州から


という発表がされました。


「九州の鉄道の車窓で一番好きな場所はどこ?」と訊かれたら、真っ先に挙げたくなるのが、この不知火海沿いを走る区間です。

特急「つばめ」が西鹿児島(現・鹿児島中央)まで走っていた頃、当時連結していたビュッフェで、ビール片手に「薩摩地鶏照焼チャオセット(だったかな?)」を食べながら車窓を堪能できたのもいい思い出です。

しかし2004年3月の九州新幹線の開業に伴い、この鹿児島本線で一番風光明媚な区間、八代〜川内間は第三セクターの「肥薩おれんじ鉄道」に移管されました。

それと同時にこの区間を走っていた特急「つばめ」やブルートレイン「なは」(新大阪〜西鹿児島)も熊本や新八代発着に短縮されました。

ブルートレインではないものの、この区間を定常的に走る列車としては、12年ぶりに夜行が復活します。
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鹿児島本線(現・肥薩おれんじ鉄道)・薩摩高城〜草道


今回のななつ星の経路変更の目玉のひとつに、ちょうどこの写真近くの


このあたりは遠浅で手付かずの海岸線が残っており、波の音を聞きながら天草諸島に沈む夕陽は最高でしょうね。
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鹿児島本線(現・肥薩おれんじ鉄道)・西方〜薩摩高城


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鹿児島本線(現・肥薩おれんじ鉄道)・上田浦〜肥後田浦


今回の運行設定で、赤字に喘ぐ肥薩おれんじ鉄道にも少なからず増収がもたらされることでしょう。

沿線には小粒ながらも風情のある温泉(高城温泉や湯の児温泉、日奈久温泉)も多く、「ななつ星」の乗客をいずれ誘致できれば、沿線の活性化にも繋がるかもしれませんね。

そして、久しぶりにこの区間で「ななつ星」を撮ってみたくなりました。

来年春からの楽しみがまたひとつ増えました。



by feel-railside | 2015-09-13 19:25 | 夜行列車
ブルートレイン in my memories
昨日は寝台特急(ブルートレイン)「北斗星」、ラストランの日でした。


これで、昭和33(1958)年に東京〜博多間の「あさかぜ」に登場した20系寝台車から、脈々と受け継がれてきた、いわゆる青い車体のブルートレイン(寝台特急)の歴史にピリオドが打たれたことになります。

最後の最後くらい、サヨナラ撮影でも、と考えたのですがちょっと他の企画の撮影で忙殺されていて(この話はまた時期がくれば、このブログで紹介したいと思います)、結局行けず終い。

もっとも九州出身の僕にとって、東京と九州を結ぶブルートレイン「はやぶさ」「富士」が2009年に廃止された時点で、自分の中に区切りがついた感がありました。
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2007年2月 山陽本線・本由良〜厚東(冬場、この付近の線路の側を流れる厚東川は川霧が発生しやすく、この朝霧のなかを走る「はやぶさ・富士」を撮りたくて何度も通った場所です。3年越し、4度目のチャレンジでようやく収めることができました。)


小学4年生で初めて一人で鳥栖から東京まで乗った「みずほ」(※当時は「はやぶさ」の指定席の入手が困難で、その救済の為に設定されていたのが「みずほ」でした)
京都への大学進学で故郷を離れる際に乗った「あかつき」。
就職で上京する時に利用した「はやぶさ」。

考えてみれば、自分の人生の節目には、いつもブルートレインがありました。




話は替わり、今月の初旬トワイライトエクスプレスの撮影で山陰に行った時のこと。

宿泊先の山口で写真仲間のF君と久しぶりに会って飲んだ時、駅弁の話題になりました。

F君「そういえば、今年の4月で山口県内の駅から駅弁業者が消えたんですよ」

僕「最後まで残っていた新山口駅も消えたんだ。山口の駅弁業者は、まさにブルトレと一心同体だったんだね。」



東京から九州方面へ向かうブルートレインの多くは、広島県から山口県で朝を迎えます。

食堂車が連結されていた時代は、概ね7時になると朝食の営業が開始されていましたが、斜陽化の進んでいた九州ブルトレでは90年代半ばには食堂車の営業は休止。

車内販売が、お腹を空かした乗客の唯一の拠り所でした。

ところが、食堂車だけでなく肝心の九州方面のブルートレイン自体が棲息数減らし、「みずほ」「あさかぜ」「さくら」といった数々の名列車が次々と廃止され、最後まで残ったのが「はやぶさ」と「富士」の併結列車でした。

「はやぶさ・富士」の下り列車には徳山駅から車内販売が乗り込み、主に徳山駅の駅弁が積まれ、売れ行きによっては下関駅で補充されていました。

※九州方面へのブルートレイン全廃後は、山口県内に残る3つの駅弁業者(徳山、新山口、下関)が「新山口駅弁当」に統合されるも、2015年には全て消滅するという、先ほどの会話につながります。

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2007年8月頃の下関駅(下関駅では機関車の付け替えで5分程停車し、ホームの売店は束の間の活況を呈す。特に下関特産の「ふく(河豚)」の天ぷらの入った「ふくてんうどん」は美味しかった。)

その下り「はやぶさ・富士」で売られていた弁当の中で、「日本で一番入手困難な駅弁」と呼ばれ、廃止間際にはファンで密かな人気だったのが、徳山の手前、柳井駅で積み込まれる弁当でした。

入手困難の謂れは、駅弁なのに駅では買えず、販売は下りの「はやぶさ・富士」でのみ。しかも積み込みは5〜10個だけ。

この謎の駅弁に迫るべく「はやぶさ・富士」の廃止3日前に、柳井駅に行って、積み込んでいたおばちゃんに話を聞いみることにしました。

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2009年3月 山陽本線・柳井駅にて(この日の積み込みは8個)


すると、こんな話が聞けました。

・もうウチは、駅弁業者をやめて10年以上になる。
・それでも徳山駅弁当さんの依頼で、1列車につき5〜10個だけブルートレイン用に調製していた。
・屋号は水了軒で、大阪駅の水了軒(注・八角弁当が有名で、今なお駅弁業者として現存)から、先代が暖簾分けしてもらったのがはじまり。
・今は朝3時に起きて、自分一人で作って、毎日運んでいる。

そして、この「はやぶさ・富士」がなくなるとどうなるかと訊ねたら


これで店たたむよ。もうブルートレイン走らんけんね。

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列車が到着すると1号車の車掌に弁当を預ける。

おばちゃんはいつも、調理中のキャップをしたまま駅に入ってきていた。

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店をたたんだら、娘の家でゆっくりさせてもらうけん。あと3日。

そう言い残して、駅をあとにしました。

ひとつの列車が消える陰で、ブルートレインを支えた、ひとりの人生のドラマもまた終わりを告げようとしていました。
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何の変哲もない幕の内弁当でしたが、中身はあの大阪駅の「八角弁当」に通じるおかずの多さ。そして出来立てで、ご飯が暖かいのが嬉しかったです。

(おわり)


by feel-railside | 2015-08-24 23:42 | 夜行列車
惜別「トワイライトエクスプレス」
大阪から札幌まで結ぶ、豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」も廃止まで1週間となりました。

関西には長く居たにも関わらず、結局乗らず終いで終わってしまいました。函館行や青森行の「日本海」には何度か乗っていたのですが、当時は「今の自分には分相応ではない」、などという思いもあったのかもしれません。

ただ2000年〜06年にかけて、湖西線の風景をライフワークにしていた時期があり、「トワイライト」も記録はしていました。しかしメインは485系の「雷鳥」や「白鳥」であり、「トワイライト」に関しては「ついで」撮りの感は否めません。色々と過去のポジやデータを漁っているうちに、何枚か印象に残る写真があったので、こういう機会しか披露することはないだろう、ということで公開したいと思います。


まずはこの写真。
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2005年5月 湖西線・永原〜近江塩津 Nikon F6 AiAF Nikkor 50mmF1.4D RVP(+1増感)

何の変哲もない編成写真ですが、実は自分にとって大きな発見になった1枚でした。
「トワイライト」のあの地味なダークグリーンは順光で撮れば撮るほど、真っ黒に写ってしまう撮影者泣かせの色です。今でこそデジタルで撮ればPC上で色の調整もできますが、フィルム一発撮りではなかなかそうはいきません。そこでその黒光りを利用して、その車体に鮮やかな緑を写り込ませれば色が引き立つのでは?と仮定しました。
鮮やかな緑といえば、初夏の新緑。そしてその新緑が一番輝き引き立つのは半逆光の光線。あとはその条件に合う区間を、過去5年湖西線を取り尽くした沿線の脳内データから辿って、ピタリと適合したのがこの区間でした。それからというもの、新緑の時期が待ち遠しいこと、待ち遠しいこと。今でも、シャッターを切った瞬間から現像所からの仕上がりにドキドキしていたことを覚えています。


次に沿線から走る車内の様子を撮ったものを2点。
自分には縁がない分、カメラから乗客の姿を捉えたかったのかもしれません。
まずはサロンカー。
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2001年8月 湖西線・近江舞子〜北小松 Nikon F100 AiAF-I Nikkor 300mmF2.8D RVP(+1増感)

大阪を出た下り列車が、最初に目にする美しい風景が琵琶湖。きっとこの区間なら、何人かはサロンカーから風景を楽しんでいるだろう、という仮定のもと、乗客の多いお盆の時期に沿線に出かけました。三脚にサンニッパをしっかりと固定して流し撮りです。流し撮りにした狙いは、やはり観るほうの視点が、車両そして乗客に向かわせる為です。
南のほうから走ってきた列車に向かって、大きく手を振ります。
「お、こっち見てくれてるぞ」
ということで、すかさずカメラをパンニング。
「あ、何かあそこに変なカメラマンがいるよ」
恐らく、車内ではそういう会話だったのかもしれません。

次のターゲットは食堂車の「ダイナー・プレヤデス」。
特に下り列車の日本海の夕陽を眺めながらのディナーは人気で、その予約は寝台券の確保以上に困難と言われています。
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2007年9月 信越本線・青海川〜鯨波 Canon EOS 1D MarkIIN EF 300mmF2.8L IS USM ISO800

この日は金沢の489系ボンネット編成を利用した臨時特急「はくたか」が金沢〜上野間を長岡まわりで走った日でした。もちろんメインのターゲットはそれでしたが、折角日本海の海岸線まで来たので、夕陽をバックに走る食堂車を狙わない訳にはいきません。しかし、そうはうまくいかないものです。昼過ぎまでは快晴だった新潟県地方も、夕方前から雲がどんどん広がり、夕陽に輝く日本海はこの時点でなくなりました。それでも、なんとか暗い中流し撮りで撮った食堂車の風景です。
当時はただのボツ写真と思っていましたが、今見返すと、屋根上の特徴的なAU12型のキノコ型のクーラーもあいまって、いい思い出です。

最後に、「トワイライト」の地味な色合いを利用した雪景色の一枚。
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2003年1月 湖西線・北小松〜近江高島 Nikon F100 AF Nikkor 80-200mmF2.8D RHP

最初の写真では、あれだけ躍起になって色を出そうとしていましたが、逆にこの地味な色合いはモノトーン風景にこそ生きると思い、狙ったのが雪の風景。
SLとまではいきませんが、艶を落とした車両はしっとりとした寒村の風景とよく合いました。


夏の青い海やきらめく夕陽を眺めながらの旅もいいかもしれませんが、やはり冬こそ日本海沿岸の醍醐味。こうした寒々とした風景を眺めて物思いにふけながら旅するのも、また一興だったかもしれません。
結局、そのどちらの願いも叶いませんでしたが、、、

(おわり)



by feel-railside | 2015-03-04 22:47 | 夜行列車