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「首都圏貨物列車・撮影ハンドブック」発売のお知らせ
SNSのほうでは、既にお知らせしましたが、9/29にイカロス出版様より「首都圏貨物列車撮影ハンドブック」が発売されました。
首都圏の貨物撮影地50箇所のほとんどを7月中旬からの1ヶ月半で撮り下ろしました。
「新幹線撮影ハンドブック」で好評でした、QRコード、MAPCODE、昭文社の見やすい地図、そして詳細な解説を付けています。
是非、書店で手にとって頂けたらと思います。

で、ここで一つ表紙の写真のエピソードについて。
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2015.7 東北本線・野木〜古河


実はこの列車、表紙用なんて思ってもなく、ガイド用の編成写真として待っていました。
当日、この列車にEF66で唯一、原色を保つEF66 27号機が入るとの情報を前日の晩に確認して現地に入りました。
ところが、通過予定の30分くらい前からパタリと列車が来なくなりました。
なんだか嫌な予感。
スマホで運転状況を調べると、東大宮駅で人身事故のこと。
「あー、こりゃ当分来ないな」

そうして、ようやく1時間後に運転再開。
でもやっぱり待てど暮らせど来ません。
予定の2時間を過ぎ、光線状態も順光からトップライト気味に。
「こりゃ、作例写真としても使いにくいなー」
と諦めた頃、ようやくEF66らしいヘッドライトが彼方から来ました。
「よし、来た!」

ところが、ところがです。
何と後ろは1両も貨車を引っ張っていません。
いわゆる単機です。
これじゃあ絵になりません。
で、ここで一瞬、編集部からの
「大鶴さん、そろそろ表紙用の写真を考えといて下さいねー」
との言葉が過ぎります。

「よし、じゃあもうカマアップで縦で流したれ!」
と、カメラを三脚から外し、設定を変えて、手持ちで何とかギリギリ寸前で仕留めることができました。

流し撮りって、案外こういう半ばやけくそ(?)というか、力も入っていない時に案外成功するもんなんですよね。
事前に、「こう流そう」とか力が入っていると大抵失敗します(笑)
というのが、結果オーライでしたが、今回の表紙のエピソードになります。


ところで、この縦位置での機関車アップの流し撮りって結構好きでしてよくやってます。
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2007.8  鹿児島本線・西牟田〜荒木


やっぱりヘッドマークが付いたブルトレだと箔がつきますね。
で、左方向への流しにこだわる理由は、運転台が進行方向左側にあるんで運転士さんの表情が見えるということです。

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2009.7 鹿児島本線・天拝山〜原田


で、運転席は冷房のない車両も多く夏場だと大抵開いてるんで、余計に運転士さんが見えるんですよね(笑)
九州のカマは前パンが畳んでるのが残念なのですが。

あと、この手の流し撮りで注意を払うのは角度。
真横だとカッコよくないんです。
かと言って正面気味もイマイチ躍動感がありません。
自分なりのポイントとしては、向こう側のテールライト(EF66ならライトケース)がチラッと見える角度が、この流しの一番カッコイイ角度だと思ってます。

なので、たとえ10コマ/秒のカメラでも連射はしません。
やはり自分の一番狙った位置で確実に切るには一発切り以外にないんです。
60コマ/秒くらいのカメラが出れば連射に切り替えるかもしれませんが。
あと、もちろんMFで置きピン、そして流し撮り用の手ブレ補正(CanonならIS、NikkorならVR)もOFFにします。
一発切りで、手ブレ補正をONにすると大抵失敗します。
技術的なところは分かりませんが、多分手ブレ補正も連射での撮影を前提にしているのかもしれませんね。

と、流し撮りについて、喋りだしたらキリがないのでまたの機会にでも。
ということで、最後にもう一度。この本、よろしくお願いします。
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by feel-railside | 2015-10-01 01:46 | 案内
ブルートレイン in my memories
昨日は寝台特急(ブルートレイン)「北斗星」、ラストランの日でした。


これで、昭和33(1958)年に東京〜博多間の「あさかぜ」に登場した20系寝台車から、脈々と受け継がれてきた、いわゆる青い車体のブルートレイン(寝台特急)の歴史にピリオドが打たれたことになります。

最後の最後くらい、サヨナラ撮影でも、と考えたのですがちょっと他の企画の撮影で忙殺されていて(この話はまた時期がくれば、このブログで紹介したいと思います)、結局行けず終い。

もっとも九州出身の僕にとって、東京と九州を結ぶブルートレイン「はやぶさ」「富士」が2009年に廃止された時点で、自分の中に区切りがついた感がありました。
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2007年2月 山陽本線・本由良〜厚東(冬場、この付近の線路の側を流れる厚東川は川霧が発生しやすく、この朝霧のなかを走る「はやぶさ・富士」を撮りたくて何度も通った場所です。3年越し、4度目のチャレンジでようやく収めることができました。)


小学4年生で初めて一人で鳥栖から東京まで乗った「みずほ」(※当時は「はやぶさ」の指定席の入手が困難で、その救済の為に設定されていたのが「みずほ」でした)
京都への大学進学で故郷を離れる際に乗った「あかつき」。
就職で上京する時に利用した「はやぶさ」。

考えてみれば、自分の人生の節目には、いつもブルートレインがありました。




話は替わり、今月の初旬トワイライトエクスプレスの撮影で山陰に行った時のこと。

宿泊先の山口で写真仲間のF君と久しぶりに会って飲んだ時、駅弁の話題になりました。

F君「そういえば、今年の4月で山口県内の駅から駅弁業者が消えたんですよ」

僕「最後まで残っていた新山口駅も消えたんだ。山口の駅弁業者は、まさにブルトレと一心同体だったんだね。」



東京から九州方面へ向かうブルートレインの多くは、広島県から山口県で朝を迎えます。

食堂車が連結されていた時代は、概ね7時になると朝食の営業が開始されていましたが、斜陽化の進んでいた九州ブルトレでは90年代半ばには食堂車の営業は休止。

車内販売が、お腹を空かした乗客の唯一の拠り所でした。

ところが、食堂車だけでなく肝心の九州方面のブルートレイン自体が棲息数減らし、「みずほ」「あさかぜ」「さくら」といった数々の名列車が次々と廃止され、最後まで残ったのが「はやぶさ」と「富士」の併結列車でした。

「はやぶさ・富士」の下り列車には徳山駅から車内販売が乗り込み、主に徳山駅の駅弁が積まれ、売れ行きによっては下関駅で補充されていました。

※九州方面へのブルートレイン全廃後は、山口県内に残る3つの駅弁業者(徳山、新山口、下関)が「新山口駅弁当」に統合されるも、2015年には全て消滅するという、先ほどの会話につながります。

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2007年8月頃の下関駅(下関駅では機関車の付け替えで5分程停車し、ホームの売店は束の間の活況を呈す。特に下関特産の「ふく(河豚)」の天ぷらの入った「ふくてんうどん」は美味しかった。)

その下り「はやぶさ・富士」で売られていた弁当の中で、「日本で一番入手困難な駅弁」と呼ばれ、廃止間際にはファンで密かな人気だったのが、徳山の手前、柳井駅で積み込まれる弁当でした。

入手困難の謂れは、駅弁なのに駅では買えず、販売は下りの「はやぶさ・富士」でのみ。しかも積み込みは5〜10個だけ。

この謎の駅弁に迫るべく「はやぶさ・富士」の廃止3日前に、柳井駅に行って、積み込んでいたおばちゃんに話を聞いみることにしました。

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2009年3月 山陽本線・柳井駅にて(この日の積み込みは8個)


すると、こんな話が聞けました。

・もうウチは、駅弁業者をやめて10年以上になる。
・それでも徳山駅弁当さんの依頼で、1列車につき5〜10個だけブルートレイン用に調製していた。
・屋号は水了軒で、大阪駅の水了軒(注・八角弁当が有名で、今なお駅弁業者として現存)から、先代が暖簾分けしてもらったのがはじまり。
・今は朝3時に起きて、自分一人で作って、毎日運んでいる。

そして、この「はやぶさ・富士」がなくなるとどうなるかと訊ねたら


これで店たたむよ。もうブルートレイン走らんけんね。

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列車が到着すると1号車の車掌に弁当を預ける。

おばちゃんはいつも、調理中のキャップをしたまま駅に入ってきていた。

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店をたたんだら、娘の家でゆっくりさせてもらうけん。あと3日。

そう言い残して、駅をあとにしました。

ひとつの列車が消える陰で、ブルートレインを支えた、ひとりの人生のドラマもまた終わりを告げようとしていました。
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何の変哲もない幕の内弁当でしたが、中身はあの大阪駅の「八角弁当」に通じるおかずの多さ。そして出来立てで、ご飯が暖かいのが嬉しかったです。

(おわり)


by feel-railside | 2015-08-24 23:42 | 夜行列車