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不知火海を走るブルートレイン
フランス旅行記の途中ですが、前回に引き続きブルートレインの話題です。


先日、JR九州から


という発表がされました。


「九州の鉄道の車窓で一番好きな場所はどこ?」と訊かれたら、真っ先に挙げたくなるのが、この不知火海沿いを走る区間です。

特急「つばめ」が西鹿児島(現・鹿児島中央)まで走っていた頃、当時連結していたビュッフェで、ビール片手に「薩摩地鶏照焼チャオセット(だったかな?)」を食べながら車窓を堪能できたのもいい思い出です。

しかし2004年3月の九州新幹線の開業に伴い、この鹿児島本線で一番風光明媚な区間、八代〜川内間は第三セクターの「肥薩おれんじ鉄道」に移管されました。

それと同時にこの区間を走っていた特急「つばめ」やブルートレイン「なは」(新大阪〜西鹿児島)も熊本や新八代発着に短縮されました。

ブルートレインではないものの、この区間を定常的に走る列車としては、12年ぶりに夜行が復活します。
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鹿児島本線(現・肥薩おれんじ鉄道)・薩摩高城〜草道


今回のななつ星の経路変更の目玉のひとつに、ちょうどこの写真近くの


このあたりは遠浅で手付かずの海岸線が残っており、波の音を聞きながら天草諸島に沈む夕陽は最高でしょうね。
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鹿児島本線(現・肥薩おれんじ鉄道)・西方〜薩摩高城


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鹿児島本線(現・肥薩おれんじ鉄道)・上田浦〜肥後田浦


今回の運行設定で、赤字に喘ぐ肥薩おれんじ鉄道にも少なからず増収がもたらされることでしょう。

沿線には小粒ながらも風情のある温泉(高城温泉や湯の児温泉、日奈久温泉)も多く、「ななつ星」の乗客をいずれ誘致できれば、沿線の活性化にも繋がるかもしれませんね。

そして、久しぶりにこの区間で「ななつ星」を撮ってみたくなりました。

来年春からの楽しみがまたひとつ増えました。



by feel-railside | 2015-09-13 19:25 | 夜行列車
ブルートレイン in my memories
昨日は寝台特急(ブルートレイン)「北斗星」、ラストランの日でした。


これで、昭和33(1958)年に東京〜博多間の「あさかぜ」に登場した20系寝台車から、脈々と受け継がれてきた、いわゆる青い車体のブルートレイン(寝台特急)の歴史にピリオドが打たれたことになります。

最後の最後くらい、サヨナラ撮影でも、と考えたのですがちょっと他の企画の撮影で忙殺されていて(この話はまた時期がくれば、このブログで紹介したいと思います)、結局行けず終い。

もっとも九州出身の僕にとって、東京と九州を結ぶブルートレイン「はやぶさ」「富士」が2009年に廃止された時点で、自分の中に区切りがついた感がありました。
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2007年2月 山陽本線・本由良〜厚東(冬場、この付近の線路の側を流れる厚東川は川霧が発生しやすく、この朝霧のなかを走る「はやぶさ・富士」を撮りたくて何度も通った場所です。3年越し、4度目のチャレンジでようやく収めることができました。)


小学4年生で初めて一人で鳥栖から東京まで乗った「みずほ」(※当時は「はやぶさ」の指定席の入手が困難で、その救済の為に設定されていたのが「みずほ」でした)
京都への大学進学で故郷を離れる際に乗った「あかつき」。
就職で上京する時に利用した「はやぶさ」。

考えてみれば、自分の人生の節目には、いつもブルートレインがありました。




話は替わり、今月の初旬トワイライトエクスプレスの撮影で山陰に行った時のこと。

宿泊先の山口で写真仲間のF君と久しぶりに会って飲んだ時、駅弁の話題になりました。

F君「そういえば、今年の4月で山口県内の駅から駅弁業者が消えたんですよ」

僕「最後まで残っていた新山口駅も消えたんだ。山口の駅弁業者は、まさにブルトレと一心同体だったんだね。」



東京から九州方面へ向かうブルートレインの多くは、広島県から山口県で朝を迎えます。

食堂車が連結されていた時代は、概ね7時になると朝食の営業が開始されていましたが、斜陽化の進んでいた九州ブルトレでは90年代半ばには食堂車の営業は休止。

車内販売が、お腹を空かした乗客の唯一の拠り所でした。

ところが、食堂車だけでなく肝心の九州方面のブルートレイン自体が棲息数減らし、「みずほ」「あさかぜ」「さくら」といった数々の名列車が次々と廃止され、最後まで残ったのが「はやぶさ」と「富士」の併結列車でした。

「はやぶさ・富士」の下り列車には徳山駅から車内販売が乗り込み、主に徳山駅の駅弁が積まれ、売れ行きによっては下関駅で補充されていました。

※九州方面へのブルートレイン全廃後は、山口県内に残る3つの駅弁業者(徳山、新山口、下関)が「新山口駅弁当」に統合されるも、2015年には全て消滅するという、先ほどの会話につながります。

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2007年8月頃の下関駅(下関駅では機関車の付け替えで5分程停車し、ホームの売店は束の間の活況を呈す。特に下関特産の「ふく(河豚)」の天ぷらの入った「ふくてんうどん」は美味しかった。)

その下り「はやぶさ・富士」で売られていた弁当の中で、「日本で一番入手困難な駅弁」と呼ばれ、廃止間際にはファンで密かな人気だったのが、徳山の手前、柳井駅で積み込まれる弁当でした。

入手困難の謂れは、駅弁なのに駅では買えず、販売は下りの「はやぶさ・富士」でのみ。しかも積み込みは5〜10個だけ。

この謎の駅弁に迫るべく「はやぶさ・富士」の廃止3日前に、柳井駅に行って、積み込んでいたおばちゃんに話を聞いみることにしました。

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2009年3月 山陽本線・柳井駅にて(この日の積み込みは8個)


すると、こんな話が聞けました。

・もうウチは、駅弁業者をやめて10年以上になる。
・それでも徳山駅弁当さんの依頼で、1列車につき5〜10個だけブルートレイン用に調製していた。
・屋号は水了軒で、大阪駅の水了軒(注・八角弁当が有名で、今なお駅弁業者として現存)から、先代が暖簾分けしてもらったのがはじまり。
・今は朝3時に起きて、自分一人で作って、毎日運んでいる。

そして、この「はやぶさ・富士」がなくなるとどうなるかと訊ねたら


これで店たたむよ。もうブルートレイン走らんけんね。

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列車が到着すると1号車の車掌に弁当を預ける。

おばちゃんはいつも、調理中のキャップをしたまま駅に入ってきていた。

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店をたたんだら、娘の家でゆっくりさせてもらうけん。あと3日。

そう言い残して、駅をあとにしました。

ひとつの列車が消える陰で、ブルートレインを支えた、ひとりの人生のドラマもまた終わりを告げようとしていました。
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何の変哲もない幕の内弁当でしたが、中身はあの大阪駅の「八角弁当」に通じるおかずの多さ。そして出来立てで、ご飯が暖かいのが嬉しかったです。

(おわり)


by feel-railside | 2015-08-24 23:42 | 夜行列車
思い出の撮影地 山陽本線・戸田〜富海
先日の中国地方遠征のネタからもう一つ。
山口方面、周南市から防府市にかけて走ると、どうしても立ち寄りたくなる思い出の撮影地があります。
それが山陽本線の戸田〜富海間です。

ここは一駅区間なのに10km以上の距離があり、その殆どをレール以外は人跡まれな周防灘の波打ち際に沿って走る、山陽本線随一の風光明媚な区間です。前日の夕方に東京を発車し朝陽を浴びて九州を目指すブルートレインを次々と収めることが出来て、好んで訪ねた場所でした。
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写真はちょうど今から10年前、2004年の11月でブルートレイン「あさかぜ」の廃止間際の写真です。
この頃はTOYOフィールドという4x5(シノゴ)のカメラで撮ったりしていました。自前のスキャナが対応していないので、ライトボックス(←これに電源を入れたのも何年ぶりだろう?)に乗せてカメラで接写しました。できれば業務用のドラム式スキャナでちゃんとデジタル化しておきたいですね。
ちょうど朝陽がEF66の側面にあたりそれが波穏やかな入江に反射している姿が印象に残っています。編成美を崩していて当時はあまり好きではなかったパンタ付の中間車のスハ25も、今改めて眺めるといいアクセントになっていて、あの時は贅沢なこと言ってたなあと思います。
ちなみに、実際ブルートレインの車窓からの眺めはこんな感じでした。
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ちょうど徳山を出た辺りで朝の車内販売が開始され、ロビーカーで瀬戸内の朝陽を眺めながらすすったコーヒーの味は、お世辞にも美味しいとは言えませんでしたが、この眺めのお陰で美味しく変えてくれるのだから不思議なものです(笑)

ということで、久しぶりに撮影地がどうなっているか訪ねてみることにしました。
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線路に沿う細い車道は、この先のトンネルからお判りのとおり、山陽本線の旧線部分です。ここから登ります、ちなみにクルマは今回の旅の相棒トヨタレンタリースのPASSOちゃんです。
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以前よりも倒木や崖崩れが増えていました。このところ山口地方は集中豪雨を頻発しているのでそのせいかもしれません。
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シダ植物が見えてくると、ポイントはもうすぐそこです。
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6年ぶりにこの場所に立ちましたが、やはり枝はだいぶ伸びているようで、アングルは以前に比べて限定されるようです。
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今回撮影した唯一のショット。
あの頃はまだEF65やEF66の索く貨物列車も多数設定されていましたが、来るのは桃太郎ばかり。
かつては東京や大阪から九州を目指す夜行列車が次々と走ったブルートレイン銀座も今や皆無となり寂しい限りです。
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これが6年前。東京〜九州間の最後の1本となった「富士・はやぶさ」を狙ったショット。残念ながら編成の後部には日が差していません。ここは曇るとくすむけど、晴れすぎるとこうやって影が出る、やや靄のかかった朝陽が一番いい条件なのですが、そうは問屋が卸しませんね。

先ほどの車を停めたトンネルの先を、波打ち際まで進むとあの海岸線を真横から眺められる場所に辿り着きます。
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こちらはポジのマウントのメモを見たら2001年。まだ14系座席の団体列車がよく走っていた頃です。どことなく大阪と九州を結んだ急行「阿蘇・くにさき」や「雲仙・西海」を彷彿とさせてくれます。もっともこんな日の長い時間は走っていませんでしたが、当時は何気なく撮ってた車両も今や貴重な記録となりました。

そしてラスト同じく6年前の夏に撮った、今度は北側の道路からの写真。
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日の長い、夏場の午後だと何とか列車の側面に光が当たってくれます。

ブルートレインが廃止され、走る列車のバリエーションは減ってしまいましたが、以前と変わらぬ風景に安心して思い出の撮影地を後にしました。また、この場所で朝陽を浴びて走るブルートレインの姿を眺めることが出来れば、と願いつつ。

by feel-railside | 2014-12-07 22:48 | 国鉄型