さようなら 松尾ハム製造所
年始に実家に帰った時のこと。
「松尾ハム、この年末でのうなったよ」
と母から衝撃の一言。
久留米の実家に帰るたびに楽しみにしていた、松尾ハムの生ハムとベーコン。
久留米市内はもとより、福岡や北九州の飲食店からの引き合いも多く、年末最後に何とかキャンセル待ちで手に入れたとのこと。
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最後の100gを東京に持ち帰り、今日最後の4切れを食べました。
で、このハムの画像と素晴らしさを後世に残すために最後に撮影しました。

生ハムなんて、わざわざ久留米で買わなくても、どこでも手に入るだろう、とみなさんお思いでしょう。
でも、違うんです。
瑞々しさ、きめ細かい繊維質がもたらす食感、控えめの塩加減、そして程よい薫香。全てが絶妙なバランスで成り立っています。
生まれて初めて知った味が、松尾ハムの生ハム。それ以来、僕の舌の生ハムの基準はここでした。
残念ながら、どんなに高級なスペイン産のハモンセラーノを以ってしても、これまでこの味を超えるハムはありません。

では、いったいなぜ九州の久留米の地で、こんな美味しい生ハムが出来たのでしょう?
松尾ハムの創業は大正4(1915)年。今から80年以上も前。時は第一次世界大戦の真っ只中。
その前年、日本はイギリスとの連合軍で、ドイツ帝国の東アジアの拠点である中国・青島を攻略しました。
そして大量のドイツ兵が俘虜として日本の収容所に移送されました。
その最大の収容先が、当時は日本有数の軍都で十八師団のあった久留米でした。その数1300名以上。

俘虜収容所では、多くの俘虜が故郷の味(ハムやソーセージ、ビールなど)を渇望していたとのこと。
また俘虜の多くは志願兵で元民間人が多く、その中には食肉に従事していた者もおり、久留米のキリスト教会を通して、
紹介されたのが、キリシタンでもあった初代の松尾ハムの創業者でした。
松尾氏は、そのドイツ人から伝統的なドイツのハム・ソーセージの製法を学び、製造に漕ぎ着けました。
その味はドイツそのもので、多くの俘虜から拍手喝采で迎え入れられたことでしょう。
(以上が、以前松尾ハムのご主人(三代目)に買い物ついでに伺った話です。最後だけ盛りましたw)

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ちなみに俘虜収容所では音楽活動も盛んに行われ、ベートーヴェンの交響曲1,5,7,8番の日本初演は久留米とのこと。
もちろん演奏は俘虜で組成されたオーケストラです。

また大正8(1919)年のヴェルサイユ条約発効後、収容所は閉鎖され、多くの俘虜がドイツへ帰国したものの、そのまま日本滞在を望むドイツ人もおり、
中でも日本足袋のヒルシュベルゲル氏、つちや足袋のウェデキンド氏は有名です。
二人ともドイツでは技術科学者であり、その二人の尽力で前者は日本足袋タイヤ部を経てブリヂストンタイヤへ、後者は月星化成(現・ムーンスター)
へと発展し、久留米の近代工業の礎を作ったと言っても過言ではありません。

このように久留米に文化、芸術、産業で多くの発展と近代化をもたらしたドイツの俘虜兵。
松尾ハムの閉店は、単なる地方都市の衰退で片付けることのできない、文化・産業の継承という点でも大きな痛手です。
松尾ハムの製法を継承し、あの味を後世に伝える職人が、またいずれ出現することを願ってやみません。

参考文献:「ドイツ兵久留米俘虜収容所展」パンフレットより(久留米市文化保護課)

※久留米のドイツ俘虜収容所に関しては以下のブログが詳しいです。
ご興味ある方は以下のリンクからどうぞ。





by feel-railside | 2018-01-21 23:16 | その他
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